災害文化事例カタログ

ドローンが自動で避難を呼びかけるってホント?

2022年10月28日 南蒲生浄化センター 建屋屋上

津波が発生した時に海岸部にいる人達に、いち早く避難を呼びかけるには、どうしたらいいでしょう?
車で伝えに行く?防災スピーカーを設置する?

東日本大震災では、海岸部への避難広報のために派遣された職員が犠牲になるという痛ましい事例がありました。そこで、仙台市では人の手を介さない「ドローンによる避難広報」を導入することになりました。

10月17日から本格運用開始されたこのシステム。28日に関係者向けデモンストレーション飛行が実施されたので、当日の様子を取材してきました。

仙台市 高橋副市長 ご挨拶

本市では東日本大震災の際に、避難広報活動中であった若林区の職員が、消防団員と共に津波により犠牲になりました。その経験から人の手に依らない広報手段が確立できないかと、平成28年度からドローンによる実証実験を始めました。令和2年には導入に向け実験も本格化し、本年10月17日から運用を開始したところです。
ドローンは、専用のLTE通信網による自動航行をし、避難行動を促します。
これは、世界で初めての取組みです。
この新たな取組みによって、沿岸部を訪れる人の迅速な避難に繋がることはもとより、津波対策の先進的な事例として、国内外へ発信していきたいと考えます。

概要説明(仙台市危機管理局 佐々木危機対策課長)

災害対応でドローンを活用することになった理由が3つあります。

一つ目は、災害時におけるドローンの有用性。
道路寸断などにより、現地での確認が困難な時でも、俯瞰での確認が可能です。

二つ目は、東日本大震災からの教訓。
津波避難広報中の職員2名、消防団員3名が犠牲となりました。
さらに被害地域が広域であったため被災状況の確認にも時間がかかり、これらが大きな教訓として残りました。

三つ目は、津波避難広報の多重化。
行政無線や携帯へのメッセージ送信などの既存の広報手段がありますが、釣り人やサーファーなど海岸部の来訪者へ避難呼びかけを行う広報の多重化が必要でした。

そこで、仙台市では近未来技術実証特区のもと、災害対応におけるドローン活用を民間事業者との連携で検証を進めてきました。津波避難広報の実証実験が4回行われ、その実用性が認められたことから、庁内の操縦者が目的に応じて操縦する「災害対応ドローン」と、自動運行であらかじめ決められたルートを人の手を介さずに飛行する「津波避難広報ドローン」の2つを導入することになりました。

通常のドローンは、Wi-Fiや携帯回線によって操作されますが、津波避難広報ドローンは、緊急時の回線混雑に影響を受けないよう、専用のプライベートLTE※回線を使用しています(※LTE回線:ロングタームエボリューションの略でデータ通信量が大きく、ドローンからの映像転送などにも向いた通信回線)。ドローンは、格納ケース内で常にバッテリーが充電され、J-アラートが発令されると近隣の気象情報を取得し、飛行の可否を自動で判断します。離陸したドローンは、あらかじめ決められたルートを飛行し、スピーカーから避難を促すアナウンスを流しながら、同時にカメラから取得した沿岸部の現状を災害対策本部のある青葉区役所へ発信し続けます。

デモンストレーション飛行の様子

収納ケースが開き、中からドローンが現れます。
J-アラートの疑似信号を受信した機体は、飛行の可否を判断後に離陸します。ドローンは人の手を離れて自動制御で飛行し、着陸時に天候が急変した際には危険回避のために自動で他の安全な着陸地へ向かいます。
2機のドローンは、北は向洋海浜公園を経由し往復7km、南は海岸を南下し深沼漁港を経由して往復8kmを飛行します。


「津波避難広報ドローン」は、東日本大震災の教訓を踏まえ、新技術を駆使して生み出された知恵と技であり、災害文化の一つの顕れと言えます。

余談ですが今を遡ること40年前、小松左京原作のSF小説「復活の日」の1980年映画版では、放射能に汚染された都市の確認のため飛行体が潜水艦から放たれます。ヘリコプターでもない、飛行機でもない、一見オモチャのような姿は空想の中の機械だと感じたものでしたが、今、目の前に同じものが現れたことに驚きを憶えました。細部に渡るまでカーボン製の機体。航続距離の8kmはドローン機体の飛行可能時間から設定されたそうです。昔は夢だったものも現実になる。災害を乗り越えようとする人間の力ってすごいですね。

パネルチームディスカッション②「災害文化の事例を集めてみよう」

2022年10月19日 地下鉄東西線国際センター駅2階 青葉の風テラス

「災害」と「文化」、繋げて一つの「災害文化」にしてしまうと直感的に分かり難い。
この分かり難さを6名のメンバーで語り合い、災害文化を深く読み解こうという企画の2回目が10月19日に開催されました。会場は、地下鉄東西線国際センター駅2階の青葉の風テラス。中心部震災メモリアル拠点と音楽ホールの複合整備予定地である「せんだい青葉山交流広場」を眺めながらの開催となりました。

ディスカッションに先立ち、パネルメンバーには事前に「災害文化」の事例をWebフォームで投稿してもらいました。
つかみにくい「災害文化」を具体な事例からアプローチする試みです。
集まった「災害文化」事例一覧はこちらから 

今回のガイド役は、ラジオ3 パーソナリティーの鈴木美範さんです。

佐藤正実さん

自分の中で考えていたものと、みなさんの視点を見比べて、意外なものはなかったですね。「お風呂に水を貯める」「公衆電話」「はだしのゲン」などは忘れていた感じがします。
戦争のこと、洪水のこと、台風のこと、地震のこと。自然災害の経験から、知らず知らずのうちに自分の血肉になっているというと大袈裟ですが、言われてみればそうだったと気付かされるものが多かった。

渡辺祥子さん

当たり前に暮らしの中でやってきた習慣が、実は震災の時に役に立ったとか、あの日以降に新たに習慣になったものも有るのではないかと思う。私の事例では、山口県の浄土真宗のお宅で、仏壇にお線香を、立てずに半分に折って立てるんです。火事に遭わないようにと檀家さんの中では伝わっていた。これも防災に役立つ災害文化かなと。それと、震災の際に近隣のお宅から「ガスボンベが余っていませんでしょうか?」と尋ねられまして、私の家には予備の1本しか残っていなかったので、本当に苦しくて。それでもお分けしたところ、翌日に様子見に来てくれた方が1本持ってきてくれて、私の住んでいる地区は仙台市内では最後にガス管工事が終わったのですが、その時点では12本貯まっていました。「情けは人の為ならず」。このような、先人たちの祈りのようなもの。このようなことわざも災害の時に役に立つと思います。

災害に備えるまちづくりや技術、製品などのハードはもちろん、行動様式や言い伝え、文芸作品や演劇、人の言葉など、災害文化はジャンルを超えて存在しているし、人によってとらえ方は違うけれど、どれも間違いではない。別の方に聞けば別の視点が出てくるけど、それでもいいんだという気づきを共有できました。

今回の事例収集を参考に、市民の皆さんに「災害文化」という概念を知っていただくきっかけづくりの方策について話し合いました。

桃生和成さん

自分だったらパネル展とかやってしまいがちですね。事例を全部並べて、見てもらって。それをきっかけに感想や反応を可視化して「自分だったら」を引き出すリアルな場を作ります。他には教育現場へのアプローチなど。

ラジオ3 鈴木美範さん

フィジカルにやった方がイメージ湧くだろう。Webだけだと集まりにくいだろうなと。

桃生和成さん

経験上こういうものは、集まらないものという大前提で考えていくので、エンタメのような仕掛けが必要かも。
カジュアルさがどこかにないと、面白い流れにはならない。

ラジオ3 鈴木美範さん

とはいえ、バランスは取らなくちゃいけない。災害という大きな括り。これを震災にすると大きな被害に遭われた方もいる。そちらに目を向けなくてはいけない。

佐藤正実さん

市民の皆さんに広めるためにというテーマであったら、市、全体でやっても集まらないだろうなと考える。やはり、ひとつの地域でサンプル出しとか。例えばいま、市民センターで昭和時代の写真を集めている。その時に「仙台市全域で集めてます」では絶対に集まらないのだけれど、八幡町界隈、柏木界隈、駅東界隈と地域を限るとちゃんと集まる。その時にサンプルをひとつ付けてあげるとイメージしやすい。災害文化というと雲をつかむようだから、通学路の中で気になるところ、お父さんお母さんから、ここは気をつけた方がいいと言われているところなど。曲がっている道路とか、堀だとか、サンプルが出てくると、昔災害があって過去に手を加えた形跡なども出てくる。地名もそう。地域の情報を集めると、自分事になってきて、家族間での話に繋がったりもする。

渡辺祥子さん

ネットを使うのであれば、全国の人に身近な習慣を呼びかけるというのいいのでは。
さらに、3.11メモリアル交流館で付箋を貼っていくような感じで。地下鉄の駅とか、ステンドグラスに貼るとか、学校や市民センター。

八巻寿文さん

事例を考える時に「震災を起点として起こったもの」「震災前からあったもの」「震災によって価値が顕在化したもの」と分類し、考えた。
震災によって価値が顕在化したものとして、日常の延長が自然と防災につながっていく「フェーズフリー」の考え方もそうだと思う。

稲葉雅子さん

私は事例をWeb投稿していて、どこから手をつけていいか解らず。災害文化という言葉が分かりにくく「これって災害文化って言えるのかな?」って思いながら書いていました。具体的な事例があったら投稿しやすい。それと、私たちは3.11の記憶があまりにも大きすぎて、それより前が薄れている。宮城県沖地震など。ネットが得意じゃないご高齢の方から情報を引き出すにはヒアリングという名のお茶飲みで突撃するのもアリかなと思う。

仙台市(担当課長)

サンプル出しは大切だと思う。私も苦労して何を書こうかなと思いながら、ひとつ書いてみると次が出てくる。初めは恰好つけて書いてたのだけど、実は、個人的には我が家の災害文化は筑前煮なんです。震災の時に妻が妊娠していて、ご飯も私が用意していたので震災の時には冷蔵庫に筑前煮があった。妻は電気も止まった時に冷蔵庫にあった冷えた筑前煮を食べたので、これが今でも忘れられないと。我が家では震災とか防災の話というと筑前煮なんです。
サンプルで身近なものを出すのは大切。高尚なものではなく身近なものでいいんだよと。我が家の災害文化で「家にはこういう話があるよね~」のような。

仙台市(担当係長)

3.11があってヒールを履くのをやめた友人がいます。何かあった時にすぐ子供の手を引いて逃げられるようにヒールをやめたと。あなたの災害文化は何ですかではなく、3.11を契機にして変えたこと、身についたことを聞くことが、災害文化の発見になるかもしれない。

サンプルの提示、地域、ネットとリアル、身近な例、身についていること、災害を機に変化したこと、当たり前にやっていることを聞き出す。
具体な事例を考えたことで、キーワードがいくつも生まれてきました。
次回はせんだい3.11メモリアル交流館の企画展の中で、「災害文化」を考えていきます。