災害文化事例カタログ

国際センター駅北地区複合施設基本構想に関する懇話会が開催されました。

第1回開催/2022年9月7日 仙台国際センター 展示棟 会議室3

仙台市中心部震災メモリアル拠点と、音楽ホールの複合整備に向けて、基本構想に関する1回目の懇話会が開催されました。約400年前に伊達政宗公が城を築き、仙台をひらく礎とした「始まりの地」である青葉山エリアに、新たな文化創造拠点を生み出すため、懇話会委員の皆さんが複合施設のあり方や目指す方向性について話し合いました。

懇話会の様子

震災メモリアル施設と、音楽ホール。

一見、繋がりのない両施設をひとつの敷地に複合施設として整備するというのは、矛盾しているようでありながら、そこには仙台市ならではの理由がありました。

懇話会の詳しい内容や議事録は、追って公開されますが、ニュースレターでは、懇話会の中で語られたキーとなる発言を中心に当日の模様をご紹介します。当日の模様は、せんだいTubeにて公開されています。

挨拶をする郡市長

はじめに郡和子仙台市長のあいさつです。
ここでは、ちょっとだけご紹介します。

「文化芸術と災害文化。これは共に、これからの社会をより良く生きていくために大きな役割を果たすもので、複合整備する意義は非常に大きいものと感じています。青葉山エリアは、仙台藩祖伊達政宗公が仙台の街をひらいた、始まりの地であります。本市にとっても大変に重要な地域であり、仙台城跡、国際センター、学術機関、博物館、広瀬川など多くの資源が集積する国際文化交流拠点でもあります。私たちはこの地から、仙台の未来を見据えて歩みを進め、仙台市民にも長く愛される複合施設にしたいと考えています。」

仙台市には、2000席規模の音楽ホールがなく、吹奏楽、合唱などの国内コンクールは他都市で開催され、海外の演奏家のコンサートも首都圏から仙台を素通りし、他都市へ移動してしまっていました。音楽ホールの整備は音楽を愛する多くの人達から長く望まれてきたことでした。一方、中心部震災メモリアル拠点は、沿岸部にある「せんだい3.11メモリアル交流館」や「震災遺構仙台市立荒浜小学校」などと連携する中心部における拠点として整備する方針のもと、検討を続けてきました。

東日本大震災の経験を通じ、多くの人が音楽や文化芸術の力を感じ、その必要性を肌で感じました。そしてまた、災害は人智を超えて起こるからこそ、災害が起きても、それを乗り越える術や知恵を創造し、カスタマイズしながら未来に繋いでいかなければなりません。「楽都」仙台の芸術文化の積み重ね、何度も災害を乗り越えてきた経験と知見、そして活発な市民力。仙台が持つこれらの強みを融合し、どこにもない文化創造拠点を創ろうという取り組みの第一歩がこの懇話会です。

尚絅学院大学教授で仙台オペラ協会芸術監督である佐藤淳一委員

佐藤委員

「我々オペラをやるものとしてはオーケストラピットや幕が必要。この仙台周辺でピットがあってオペラが出来る施設は限られているんです。ホールというのは楽器の一部ですので、そういった意味でも音響がきちんと整い、設備の整った施設は未来の世代のためにも用意してほしいと願っています。」

現場の生の声を聞くと、様々なジャンルの音楽に必要な機能が求められていることが分かります。

東北大学大学院工学研究科の本江正茂委員

本江委員

中心部震災メモリアルが、災害の伝承施設としての機能と市民に開かれた場となるための工夫をどう両立していくかという提案です。

「災害と共にあるために、我々はどういうつもりでいればいいのか?地域に文化として定着させることが必要で、色々なことを10年やってきていますが「これをやれば大丈夫」という解もないし、時代と状況が変わっていくと何をすればいいのかもどんどん変わっていく。「タスクリストが安定的にない」っていうのもヒントなんです。いま何をしたらいいのかを常に考え続けなければいけない場所を作る。都度、いま何をしなければいけないのかを考え続ける場でありたいと考えます。そして施設としては、音楽というハッピーな場所に震災の伝承施設を複合整備するのですから、お墓や慰霊碑のようであってはいけない。例えば広島の平和記念公園は、8月6日には襟を正し厳粛な空間となります。ですが、普段は街の中の穏やかなセントラルパークとして機能している。モードを切り替えながら生きられる空間になるのだろうなと構想し、いかに災害と共にあるべきかを問い続ける施設にしたい。」

ハッピーと伝承。ふたつのキーワードがいかに融合するかが鍵になりそうです。

地域社会デザインラボ代表の遠藤智栄委員

遠藤委員

震災メモリアル拠点には、被災当時の体験を今でも生々しく強く持つ人々への配慮を十分に計画に織り込むべきとの意見です。

「震災復興の部分には、被災された方や地域の皆さんは、命、別れ、混乱、葛藤、離別など、綺麗には括れないことを抱えて暮らしている方も沢山いらっしゃいます。生々しい複雑な思いを、被災した人も関わりながら展示、企画や研究がされていくことがとても大事だと思います。震災ならではの人間の営みの、ほんとうに土に密着したような部分も考えながら、被災された方も他者を連れて訪問することができる施設づくりが大切で「あそこは少し違うから」と言われることのないようにする必要がある。施設の立地など、景観、地形、回遊性なども大切。市民の誰もが利用できる、敷居の高くない、親和性のある施設作りの工夫が大切だと思う。」

東北大学災害科学国際研究所の川内淳史委員

川内委員

青葉山エリアに整備する利点を生かし、近隣施設や、そこで働く専門職との連携やネットワークが必要との提案です。

「例えばこの青葉山エリアのことを考えると、過去のことを知る意味では仙台市博物館との連携もあるだろう。今の博物館は、仙台の歴史を取り上げているが、仙台市の歴史を捉える際のコンセプトとして災害文化を導入すると、博物館の専門性を災害文化を捉えるときに使える。市が持っている専門的なスタッフと災害文化を連携させるのが良いのではないかと考えている。」

複合施設に置かれる人材にも、協働やコミュニケーション能力が要求されます。人材も機能も「融合」するべきではと、多くの委員から、人材に関する意見が出ました。

日本大学名誉教授の本杉省三委員

本杉委員

「人々の交流を促し繋げていく力。人々が継続して力を合わせ創造に結びつける力。2つの施設が協力しあって一つの方向性を持ってもらえたらと改めて思います。こういう時につい思い出すのはチャーチルの言葉で「人は得るもので生活をして、与えることで人生を作る」これがまさに文化の重要なところで、コミュニティを作ることで、かけがえのない我々人間が持つ特徴的な力だと思います。音楽なり震災メモリアルを融合していく方向性が見つかればいいなと思っています。」

委員の皆さんからは、「特別でありながら、日常となる大切さ」や「この複合施設の意味や性質を表すネーミングが重要」など、深い示唆に富んだ数々の意見が出されました。次回の懇話会では、複合施設の理念や、青葉山エリアに立地するあり方について検討する予定です。

懇話会の開催前に、建築予定地と周辺青葉山エリアの視察を行いました。
複合施設の建設予定地は、古くは伊達家重臣大條孫三郎の屋敷があった場所だそうです。
なんとあのサンドイッチマン伊達さんのご先祖に当たります。

パネルチームディスカッション①「災害文化を考える」

2022年8月4日

中心部震災メモリアル拠点の基本理念は「災害文化の創造拠点」。
ただ、災害文化というコトバは聞き慣れないですし、意味が分かり難いという問題があります。そのため、災害文化の意味を掘り下げ、その意義が伝わりやすいように整理するタスクのもと、多方面で活躍する6名の方々が集まり「パネルチーム」を結成しました。
今年度、全5回の予定で、さまざまな角度から災害文化を考えるディスカッションを開催する予定です。

2022年8月4日、メンバー同士の初顔合わせを兼ねて初回のディスカッションが開催されました。
6名のメンバーのほか、ローカルコミュニティサイト、Web広報、FM局などメディアチームも今後の発信に備えバックアップで参加しました。

パネルチーム紹介

伊藤み弥さん

公益財団法人音楽の力による復興センター・東北 コーディネーター
被災地にプロの音楽家を招聘し、演奏会を開く事業を継続している。


稲葉雅子さん

株式会社たびむすび代表取締役
震災直前に会社を立ち上げたため、被災地への案内を数多く経験。
のちに街中観光に軸足を移し、地域の魅力発掘を事業の中心とする。


佐藤正実さん

3.11オモイデアーカイブ、「風の時」編集部代表
仙台を拠点に古地図や写真、絵はがきなどの地域文化資料を活用して古の仙台を知る活動を行う。
震災前の街の写真を囲んでの語り場を開催するほか、まちあるきイベントも実施。


桃生和成さん

一般社団法人Granny Rideto代表
NPOの中間支援から事業を起こし、法人立ち上げへ。
出版やCG作成など多方面に活動。


八巻寿文さん

美術家
照明の仕事で、演劇界に永く関わる。
せんだい演劇工房10-Boxの立ち上げ期に震災に遭う。
せんだい3.11メモリアル交流館の館長を開館時から3年務めた。


渡辺祥子さん

フリーアナウンサー・朗読家
震災から自分でできることを模索し、被災の地で生きる人々の暮らしを発信する活動を続けている。
情報誌「りらく」編集長兼任。

ディスカッションの一部を紹介します。

渡辺祥子さん

文化は幅が広いです。語りや小説などで取り上げられることで、個人の経験を人類の経験や体験に大きく広げることができる。
これが文化の力かなと思う。自分ごととして考えてもらう。音楽の力や絵画の力を借りて、自ら経験していないことを、体験したかのように考えたりできるようにするのが文化の力。震災から時間が経てば経つほど、文化的なアプローチが必要になってくる。

桃生和成さん

震災直後には、起きたことをそのまま伝えるエモーショナルな表現が見受けられたが、時間が経つと、ちょっと引いた視点で事象を伝えることが出来るようになる。
生活文化の視点でも、復興事例としては先行する神戸を見てきたが、10年過ぎてから起こった事柄としては、
復興の言葉が既に現実とズレが生まれていて、生活の中に災害文化をどうやって取り込んでいくかが課題になり、すでに将来を見据えた活動に移ってきている。

佐藤正実さん

災害文化と言っている間は災害文化ではないと思う。
自分達のまちで、当たり前だったものが当たり前でなくなったことに気づく。例えば東日本大震災前の様子を見ることで、再認識をする。
その過程を経て災害文化イコール地域文化となり。自分達の街の魅力に気がつく。隠れていることに気がつくのが地域文化。災害文化と思う。

稲葉雅子さん

災害と文化は、普段は一緒に使うことのない言葉。日常には使われていない言葉。どうやったら一つの言葉になるのかな?と考えてきました。他地域の事例ですが、墨田区では防災文化という言葉を使っているそうです。一帯は海抜0メートル地域なので、災害が起きた時にどうするか?を小学校で実践しています。例えば風呂敷を活用して水を汲むなどを実践している。防災が日常のサイクルに入っている。これが文化だと気づきました。
防災文化は分かりやすい言葉だと思います。小さい頃から訓練する、備えるなど、昔から伝わってきたことです。災害文化は悪いこと(災害)と良いこと(後にくる自然の恵み)が一緒になっているから、日常に組み込むのが難しい。日常に組み込まれていくこと、痛みを昇華することも文化だと思います。

八巻寿文さん

ベースになるのは技術。暮らしの技術は継承ができる。テクニックとスキル。
生きていくにはちょっとした物でも技術がいる。スキルは個人個人が伸ばしていくもの。ですがテクニックは共有ができる。災害文化の創造拠点では、そんな技術を共有できる施設になればと考える。

伊藤み弥さん

生き延びる術。罹災時に生きる術の他に避難所での暮らしを楽にできる術も災害文化ではないかと考える。テクニカルなことは学ぶ機会を用意したほうがいい。例えば極端だけど3月11日は仙台市の学校を休みにして、炊き出しの練習とか、簡易トイレを使えるように準備する、そういうことを学べる場を用意したほうがいい。

最後に伊藤み弥さんからヒントとなりそうな感想です。

伊藤み弥さん

「生き延びること」と「伝えていくこと」。この二つが災害文化なのかもしれない。

第1回ディスカッションの様子をお伝えしました。
引き続き災害文化への理解を深めていこうと思います。ありがとうございました。